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先週のティーレマンのブル5については,あちこちのブログに感想があがっている。 トラックバックをいただいた方のサイトを追いかけてあちこち拝見したが,どこにも出ているのが フライング拍手馬鹿 の問題。 今年ベルリンで聴いたティーレマン/ウィーン・フィルのブル8のレポートにも書いたが,あのときは,ミレドが消えた後,本当に長い静寂があった。 あと,グラモフォンのサイトにあるビデオクリップの映像でも,ミュンヘンでは最後の音の後の静寂を堪能できる。 しかし,日本では「ジャン!パチパチパチ」。 ホールに音が広がり,消えていく余韻を楽しむ暇もない。 こちらの方のように怒りのメッセージをあげるのも当然である。 ただ,私は,今回の件は最初からあきらめていた。 むしろ「今日は絶対にフライング拍手があるぞ。だから覚悟しておこう。それまでの音楽に浸ろう。」と自分に言い聞かせていたので,多少楽であった。 「ペルシャ絨毯の織りキズ」と受けとめる余裕があったのも,最初から気持ちの整理をしていたからである。 この問題,案ずるに,原因は日本の宴会文化マインドにあるのではないか。 日本では,歌に合いの手やら手拍子をかぶせること,そしてエンディングに拍手をかぶせることが賞賛のマナーとされているような気がしてならないのだ。 以前,サントリーで,ボエームの第1幕の最後をやったときに,舞台袖から2人の歌手が歌いながら静かに去っていくところで,もう拍手が始まってしまい,歌声が消えた後の消えるような美しい弦の音が台無し。あのときには,「手許に機関銃がなくてよかった。あったら過ちを犯していた。」と思うくらい腹が立った。 MET来日公演のワルキューレのフィナーレも同じ。 なんでヴォータンが娘に別れを告げて去っていき,全ての音が消えるまで,それを堪能できないのか。幕が下り出すと拍手をするのが通とでも思っているのか? こういう日本型宴会マインドでしか音楽に接することを知らない連中が入ってくると,サントリーホールがコマ劇場や新橋演舞場になってしまう。ああいう人たちに,「ブル5の最後は,音が消えたあとに休符があるんだ。休符も音楽なんだ。」と言っても,何のことだか判らないだろう。 こういう人が入ってきてしまう以上,どうしようもない。 だから逆に,昨年のアーノンクールのブル5や,朝比奈先生/大フィルの最後のブル5のように,休符をちゃんと聴けることは,普段の行いが良かったから神様がプレゼントしてくれたんだとでも思っていた方が,精神衛生上いい。残念ながら,今の日本はその程度なのである。 アバド/ベルリン・フィルのヨーロッパコンサートで第9をやったことがあったが,あのときは第9ですら,終わった後に長い沈黙があった。ああいう空気を楽しむには,向こうに行くほかないのだ。 なお,念のため言っておくが,どっちの文化がレベルが高いとか低いの問題ではない。 そもそも中身が違うんだから,違うものへの接し方があってしかるべきだということである。コマ劇場で,音が全部消えるまで客席がシーンとしていたら,それはそれでおかしいのだから。 ちょうど,食文化でも同じことがいえる。 スパゲティーを食べるときにすすりこんで音を立てるのは最悪。 しかし,同様に,そばを食べるのに,モクモクと無音で食べるのも最悪。 ただし,サントリーホールにコマ劇場の文化を持ち込む奴の人間としてのレベルが劣悪であるとはいえる。 |
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年に数回飛行機に乗って聞きに行っておる者です。フライング拍手は欧米でも間々あります。日本の頻度が高いでしょうけど幾度か腹の立つフライングに遭遇しております。演奏中の客の静けさは日本が世界一ではないかな。 |
ST 2007/11/12 22:45 |
コメントありがとうございます。 |
ブー 2007/11/12 23:18 |
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